Murga

個人的に言いたいコト・主張・気持ち。

自分が死ぬ瞬間のビデオを撮ってほしい

ぼくはカメラやビデオが好きだ。

だが、特にカメラのマニュアル操作が好きだとか、現像が好きだとか、撮りたい特定の被写体があるだとかいうワケではない。

別に撮影した写真やビデオを頻繁に見返すワケでもない。Instagram なんかはやってはいるが、公開することや「インスタ映え」を気にして写真を撮っているワケではない。

ただ何となく、記録することが好きなのだ。

適切な言葉が見つからず、多分「記録したい欲」なんだと思うのだが、自分でも何かしたくて写真を撮っているワケではないので、なかなかうまく説明ができない。


とりあえずぼくは記録したがりなので、人によっては不快感を覚える瞬間でも、記録したいとつい思ってしまうのだ。立入禁止・撮影禁止の場所とか、交通事故や家事の現場とか誰かが死んでいるところとか。

不謹慎なものを撮って喜びたいワケではないし、周りの人が不快になりうることも分かっているので、大抵の場合は実行には移さない。でも周りに誰もいなかったら、多分ぼくは写真を撮っていると思う。


祖父が亡くなって、湯灌 (ゆかん) というものをやったことがある。祖父の遺体に水をかけて、清めてお別れをする仏教系の儀式だ。このときも、ぼくはこの状況を写真に収めたくなったが、さすがに自分が参加している場で写真は撮りづらいし、祖母は元々写真を嫌う方だったので、こんなところでカメラを出そうものなら引っぱたかれるのは明らかだった。だからもちろん撮らなかった。

しかし、その後の火葬場は、ぼくが1人になる瞬間があったので、その場の写真を1枚だけ撮った。撮影禁止と書かれている場所だったが、その独特な雰囲気を写真に収めたかったのだ。火葬の準備をする前だったので、祖父は全く違うところにいたし、写真には人は誰も写っていない。それでもぼくは何かこの場所を撮りたかったのだ。

この写真は誰にも見せていないし、僕もそれから別に見返していない。HDD の奥底に眠っているが、こんなに誰にも見せていないとなると、写真なんて存在しないに近い、実質的には撮っていないのと同じようなものだろうと思う。あ、これは行為を正当化する意図は全くなく、「公開したりするために撮っているワケではない」ということを言いたいだけだ。


で。

この「死の瞬間をも写真に残したい」という欲求は、僕自身の死も対象だ。

森三中の大島が、ヘルメットカメラで自撮りしながら出産していたが、僕はあれに感動した。僕はあれを、自分が死ぬ時にもやりたい。周りの人にも、僕が死ぬ間際にビデオを回していて欲しい。そう思うのだ。

「撮ってどうするの?」という言葉はこれまで1000回ぐらい色んな人に聞かれてきたが、僕自身それに答えはない。ただなんとなく撮りたい、撮っておきたい、それだけなのだ。

自分が死ぬ時を撮ってもらってどうするかなんか考えてない。でも、なんとなく撮ってほしい。


そんなことを話の弾みに妻に話したら軽く泣かれたので、やっぱりこの考えは理解されないのだろうなぁと思う。僕も理解できないし。

でも、機会があったら、僕が死んでいくところの写真やビデオ、ぜひ撮ってってください。


荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-

荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-

メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年

メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年