Murga

個人的に言いたいコト・主張・気持ち。

高みに登るために

自分はどうしてこうも毎日毎日、通勤電車で遭遇する低俗な人間にイライラしているのだろうか。

自分は横浜育ちで、都内に引っ越してきたのは会社員になってからだ。都道府県別人口ランキング第2位の神奈川県といえど、都内、それも23区内の通勤ラッシュの人混みの多さには耐性がなかった、ということなのだろうか。

妻はずっと東京育ちで、駅構内の人混みを物ともしない。人とぶつかることも、認識すらしていないかのように気にせず歩いている。自分にはまだ真似できない。ぶつかった奴のことを1日恨み続けてしまうし、自分に非がない案件については、いつどんな奴とぶつかったかを全てリストアップできるくらい根に持ってしまっている。

こっちも短気なので、まれに殴り合いの喧嘩一歩手前に発展することもあり、武装も欠かさない。いざとなったら相手を動かなくさせる術も、道具も用意して、毎日電車に乗っている。


一方、最近はミニマリズムに凝っていて、持ち物を減らしたい、自分が依存して抱えているモノを減らしたい、という気持ちになっている。

日々武装しているモノもそうだし、そもそも「毎日電車に乗るのにそのことについてイライラしたくない」「イライラを捨てたい」という気分になっている。

他人を押しのけて横入りしてくるオッサンがいたって、譲ってやりゃあいいじゃないか。邪魔なところに突っ立ってるバカ女がいたって、避けて歩きゃあいいじゃないか。邪魔で、バカなのはそいつらなのに、自分が避けるのは負けた気がするよな。正しいのはこっちなんだから、こっちが力を誇示して、そいつらをぶん殴って自分の通り道を作るのは、正解だよな。

でも、いい。

猿たちがギャアギャア喚いていがみ合っている中に、自分がレベルを落として入る必要ない。俺は人間なので、猿の争いとは無縁の生き方を選べる。猿に言うことを聞かせるにしたって、猿が理解できる腕力の強さで競う必要はない。こっちには知恵も文明の利器も備わっているので、同じレベルで争う必要はない。

傍若無人な彼らを見過ごして、自分が避けて差し上げるのは、彼らに負けたからでも、彼らを尊重しているからでもない。話の通じない猿に説得を試みたり、叩いて躾けたりしないのと同じだ。あいつらが話を理解できる同レベルの生物だと思うからイライラするのだ。虫の乗車率が高い電車だと思えばいい。

もしも自分の権利を大いに侵害する猿が現れた時は、スマホなどの文明の利器で証拠を押さえ、警察という人類の知恵を拝借して、法律という平等な決まりに基づいて裁いてもらえばいい。自分が捌く必要はない。暴力で物事を通せれば一時的にはスッキリするかもしれないが、自分の中のイライラは消えないと思う。その点、その生物の処理は他者に任せ、自分はより高度な生活を楽しめば良い、そう思うようになった。

自分の知能・労力といったリソースをそんな奴らに割く必要はない。自分はアレよりももっと高い次元に生きている。レベルの高い暮らしをしてみせていれば、下層にどんな醜い連中がいようと、存在すら感知できなくなれるだろう。

満員電車でイライラしないポップス

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