Murga

個人的に言いたいコト・主張・気持ち。

仕事上の会話をどれくらい無駄に感じているか、他のことに例えてみる

毎日毎日バカのせいで打合せの時間がのびて、個人の作業時間が少なくなっていて迷惑している。溜飲が下がらないので昨日に引き続き愚痴を書く。

僕が職場で発生する会話をどのくらい無駄なモノだと感じているか、「コミュニケーションがとりたい」「とにかく雑談がしたい」と思っている人達にはなかなか伝わらない。そこで、「仕事上の会話」を違うモノに例えて表現することで、少しでも無駄さを感じてほしいと思う。

口頭での会話は同期処理・ブロッキング I/O

口頭での会話は同期処理であり、ブロッキング I/O だと思っている。

皆で会話をしている最中は、個人の仕事はどうしても止まる。その会議が、今後の仕事を決めるために重要なモノであったとしても、さほど重要でないにしても、いずれにしても、個人の仕事を止めること自体は事実である。

その打合せがいくら重要であっても、「皆がその時間帯に、自分の作業を止めて、自分のペースを崩して足並みを揃えさせられている」というところを認識して、打合せが短く終わるように工夫するに越したことはない。会議に時間をかければ良い結果が出るワケじゃないことは分かるだろう。

テキストベースの会話は非同期処理・ノンブロッキング I/O

対面・口頭での会話は、お互いの時間をそのタイミングで拘束するので同期処理と表現した。

一方、チャットやメールなどのテキストベースの会話であれば、書く方は好きなタイミングで書いて送信でき、受け取る方も好きなタイミングで受け取って返信できる。コレはまさに、皆が喜ぶ非同期処理そのものだろう。

緊急事態であれば、「今反応してほしいから電話で呼び寄せる」といったことも理解しているが、平常時に口頭での会話があまりにも多いのは、無駄が多いと思う。

口頭での会話は非効率な分散処理・グリッドコンピューティング

口頭での会話は、とても非効率な分散処理だと思う。

一つの事柄を全員に共有し、各々が考え、結果を持ち寄り、それぞれですり合わせ、一つの結果を出す。

議題の共有、各自の意見発表。いずれもデータ転送に多くの負荷がかかっている。口頭での会話はテキストベースの会話よりも受信者の負荷が高いという話は、以前も書いた。

neos21.hatenablog.jp

繰り返しになるが、重要な会話だろうが、雑談だろうが、その会話の重要度に関わらず、転送コストがかかっていること自体は、まぎれもない事実だ。

また、まともな分散コンピューティングやグリッドコンピューティングなら、「あなたはココを、キミはソコを考えてください」と役割分担でき、負荷が分散するのだが、会議というモノは往々にしてそのような負荷分散は実現せず、全員が同じ大きさの問題を、同じように受け取り、一人で考えることになる。

時には「私が困っている問題を皆で考えて解決したい」という会議もあり、話を聞いてみると「お前一人で考えろよ」という内容なこともある。こんな時は、問題を持ち出した一個人の負荷は軽減できるかもしれないが、全員が均等に、余計な負荷をかけられて迷惑する。その人の考えがまとまっていないのを、周りが手伝って上げたりして

他人の意見を聞いて新たにひらめいたり、複数の意見を組み合わせてより良い結果を生み出すことが、ないワケではない。だが、そのような

  • 個々のパフォーマンスが高く
  • 聞き分けがよく
  • 柔軟性があり
  • シナジー効果を生み出せる人間

が集まるのは稀なことだ。

だから、会話は往々にして非効率であり、負荷分散できていないどころか、負荷を共有して無駄に増やしていることが多いのだ。

負荷を減らすためには

皆で考えて解決したい、という問題もあるとは思うが、それを持ち寄る側は事前準備をきちんと行うべき。「一人で悩んでいるその時間がもったいない」などと抜かす奴は、負荷を共有しに行っている意識がなさすぎる。

頭が悪くて時間がかかるとしても、時間をかけてでも、自分の思考は事前に整理すべきだ。そして、話を振られた周囲の人々の負荷を最小限に減らすよう工夫・根回しをすべきだ。他人のリソースをなんだと思ってるんだ。

負荷を減らすためにも、会議に呼ぶ人間は可能な限り少なくすべきだ。時々、上司の方が親切心から「部下も同じだけの情報を知っておいた方が良いだろう」と考えて、部下を会議に呼んだりすることがあるが、コレはそんなに必要ないと思っている。「興味があったら来てよ、興味がなかったら来なくて全然構わないから」と任意参加にするに留めた方が良いだろう。

部下には部下の仕事がある。それなのに、上司の方は部下と同じ仕事をせず、部下は上司と同じ仕事を共有する、コレは仕事が分散できていない。全社員集まって経営会議を行うことがまずないのと同じように、その役職の人だけが知っていれば良いこと、というのは存在するのだ。部下に全ての情報が開示されなくても別に良いし、部下に伝えるべき情報は上司が取捨選択すべきなのだ。

負荷軽減のためには共有する情報を減らすべき、という意味でいえば、部下から上司への報告も同様だ。部下は細かいことを上司に知らせなくて良いし、上司も全てを事細かに知ろうとしなくて良い。説明下手で時間ばかり食う部下もよく見かけるし、技術者寄りを自称する老害上司が細かいことに口出しして全体を決められずに会議が長引くことも多い。上司は大枠を決めることに徹し、細かいことは部下に任せるべきなのだ。

口頭の会話は揮発性・改ざんされやすい

口頭での会話は、正確な記録が残りにくく、揮発性のデータだと思う。議事録を残さなければ、発言内容は各自の頭の中にしか存在せず、「何と言ったか」「どういう意図で言ったか」というデータがそれぞれの頭の中で改変されやすい。

議事録を書くにしても、発言した瞬間とタイムラグがあったり、話者の言語能力不足・議事ロガーの汲み取り不足などから意図が正確に伝わらない文書になってしまったりしがちだ。議事録は無駄ではないし、対面で会話をするなら必ず議事録を書くべきだとは思うが、そもそも「会話を書き起こす」というプロセス自体をなくせた方が良いだろう。

テキストベースで会話すれば、発言した瞬間にそれがテキストデータとなって記録に残る。書いた文言が書いた時のまま残るから、「言った言わない」問題は減らせる。自分の言葉で書くから「そういうつもりでの発言ではなかった」という言い逃れもしづらくなる。

後になって「あの時何を話したんでしたっけ?」「何が決まったんでしたっけ?」と思い出す時も、当時の会話そのものがデータとして残っているから、正確に情報を吸い上げられる。コレが議事録すら残していなかった会話だと、もうどうしようもない。誰かの頭の中にある改変されたデータを基にしてしか、その後の仕事が進まなくなる。

「会話」という仕事を他の仕事に例えてみる

「対面・口頭での会話」という処理方式を IT に例えてみると、

  • 人的リソースを同期的に消費し、
  • 各自の作業をブロッキングし、
  • 負荷分散ができていないどころか、同じだけの負荷を共有している (実質的に負荷量を人数分に増やしている) し、
  • データ転送方式が非効率で受信者の負荷が異様に高いし、
  • 揮発性のデータであり、
  • 各自の記憶により改竄されやすい

という性質があることが分かっていただけたと思う。

では、次は視点を変えて、「口頭での会話」という「仕事」を、他の仕事に例えてみる

同期的にプログラミングする : モブプロ

僕はモブプロ大反対派。成果に繋がらない無駄な時間の方が絶対長いし、ドライバー (タイピングする人) の速度はどいつもこいつもトロくて待っていられない。

参加者全員が賢くて、タイピング速度が普通以上の人達が集まれば、短時間で高い効果を生み出せる場合もあるだろう。初心者の OJT を兼ねて実施するとかいう、成果物以外の目的がある場合も、分かる。でもそれ以外の場合は、シナジー効果を生み出せるほど学のない連中が無駄に集まり、話題が脱線しまくり、誰もそれをハンドリングできず、思慮の浅いショボいブツが生まれる。発声運動による疲労感で何かやった気になっているだけだ。断言する。

別に「成果がゼロだ」とは言わないが、複数人の時間を同期的にブロッキングすることによる無駄や損失を考えると、それを上回る効果はまず出ていない。他の手段 (各自がプログラミングする) よりも非効率で劣っている。あと別に俺は楽しさも感じない

負荷を共有する : 全員で走るリレー

物凄いバカバカしい例えをする。

「リレーをやります」と言っているのに、第1走者とともに第2・3・4走者が一緒に走り出す。トラックを一周したところで、第1走者はバトンを第2走者に渡すが、第1走者は引き続き走り続ける。4人はバトンを渡し合うが、4人ともトラックを4周する。

「これじゃあそれぞれが単独で走ってる徒競走と大差ないじゃん」と思うだろう。

でも、会議で一つの問題を持ち出し、皆で考えを発表し合う流れって、コレじゃね?

皆で同じだけ苦労している。1人1周で、4人合わせて4周してバトンを届ければ、結果は同じでも一人あたりの負荷は少なく済む。会話になるとどうしてこういう無駄が許容されるワケ?

会議の場合は、「皆の意見を出し合ったあと、一人では到達できなかったところへ向かう」という目的があったりするのは分かるが、じゃあ「各々が考えた意見を聞く」ところまでは、非同期でやった方が無駄が少なくない?同期処理する効果ってどのくらいある?

揮発性のデータ:伝言ゲーム

伝言ゲームを思い出してみよう。

ある物体を見た一人が、それを言語化して次の人に伝える。次々と口頭で情報を伝達し、最後の人は情報を基に絵を描いて、何が伝わってきたかを発表する。すると、最初に物体を見た人が伝えたモノとはおよそ似ても似つかないモノに変わっていたりする。

小さい頃に伝言ゲームで遊んだことはあるはずなのに、大人になるとこの時の感覚を忘れるのだろうか。

発言が議事録にまとめられ、別の人が読む。コレも、小さいが伝言ゲームが発生している。どういう理由にせよ、当初の話者の発言からは歪みが生じ、それによって認識齟齬が発生してもおかしくない。

皆で相談するつもりで会議室に集まって、自分の考えを頭から放った瞬間、その内容には受け手の解釈が混じることになる。大抵は話者の当初の考えから大きく外れて行き、しかもそれが本人の納得のいかない結果に終わることもある。受け手は発信された情報をうまく汲み取ってさらに発信するため、相当なコストがかかる。結構な重労働なんだが、それを無料でやれっていうのか?お前もコレが重労働だと分かっているから「誰かと一緒に考えたい」とかいって逃げてきたんだろ?タダで引き受ける理由がどこにある。

最初に言語化した人の言葉を、必要な人だけが直接受け取れたら?それが最初から文字に起こされていて、受け手の受信の負担が少なく済んでいたら?

このように無駄を見つけて業務を改善することって、他の仕事だと推奨されると思うんだけど、どうしてこと会話やコミュニケーションとなると、そうした無駄を一向に減らさなくて良いと思われるのだろうか?逆に無駄で非効率なことが盲目的に信仰されていることの方が多い。お前ら、会話も仕事だぞ?時間を奪われてんだぞ?給料払ってもらえるような実のある会話できてるか?ホントにその仕事の仕方が最善なのか?

会話全てを禁止したいのではない・人の話をよく聞けバカが

こうしたデメリットを感じて、僕は「会話は無駄が多く非効率」「雑談は要らない」とよく言っているが、だからといって会話そのものを禁止してなくしたいというワケではない。

適切な報連相は双方に大事なことだし、必要な情報が共有されないことで発生するリスクや損失も当然ある。意味のある会話を止めろとは言っていないし、僕から話すことも多々ある。

しかし、重要度や伝達方式に関わらず、会話をすると、それだけ人様の時間を奪っていることは事実なのだ。だからこそ、できるだけ会話にかかる時間・負荷を減らすべきだと思い、僕は全ての会話をテキストベースでやりたい。無論、全員の手を止めさせて同期処理しないといけないような緊急事態だったら、対応は変わってくる。しかしその際も、会議に呼ばなくて良い人は呼ばず、非同期通信で状況共有だけに留めるなど、負荷を減らすための工夫は必要だ。

こういう意図を毎度毎度話してるのだが、どうも聞き手が勝手な解釈を交えて、「じゃあ何も話しちゃいけないんですか?」とか言い出すバカが多くて辟易する。よく人の話を聞けよ。そんなこと一言も言ってねンだわ。

「会話」とか「コミュニケーション」とかいうものを自分の中で真剣に考えたこともないような人間は、「とにかく寂しいから雑談したい」「ワイワイペチャクチャしたい」という個人の目線しかなくて、他人がどう思うかという視点が欠けている。仕事の場において、その効果を考えるという視点もない。

いい歳こいてこうも視野が狭くて物分かりの悪い連中ばっかりだと、お前みたいな奴はじゃあもう何も話しちゃいけないってことにするよ黙ってろ、と言いたくなる。どうせお前からは価値のある発言なんか一つも出てこねえから、ずっと一人で困ってろ。お前がバカなせいで俺は迷惑してんだよ!!その年齢にもなったら他人に頼らず改善してこい出直せボケ!!