Murga

個人的に言いたいコト・主張・気持ち。

自分の日本語が他人に通じると思うな

母国語だから無意識なのか、聞く側である周りが苦労させられてるのに気付いてないのか、何なのか分からないけど、

「自分の日本語には何ら問題がなくて、普通に話せば誤解なく他人に通じるはず」と思ってるバカ、多過ぎねえか?

何が言いたいのかサッパリ話が理解できないでいると「何でこんなことも分からないかなぁw」みたいな反応になるヤツ、悪いのは 100% そっちだから。

何かを説明する時、質問する時、雑談する時。どんなタイプの会話をしていても日本語が不自由なヤツは変なことを言っているし、ちゃんとしている人はどんなタイプの会話もちゃんとできる。


自分の話が相手に伝わっているか考えようともしない人って、本質的に「自分の話を相手に理解してもらおう」とは思ってないんだよな。「自分が話したいから話すだけ」「相手の理解度も感情もどうでもいい」「(ビジネスコミュニケーションの場合は特に) 会話から何か建設的な結果を生み出そうと思っていない」って感じ。相手のことを考えていない、とも言えるし、自分がどう見られているかも考えていないってことだと思う。

「他人から見た自分」にも「他人」にも興味がない、というか、他者目線というものが完全に欠如しているんだと思う。「人の気持ちを考えて文章を書く」とかどれだけ必死になっても出来ないんだと思う。

別に「自分が嫌われていないか気になってしょうがない」「皆から好かれていたい」という人の日本語が上手い、というワケでもないのだが、どちらかといえばこういう人のほうが他者目線を持っている分、もう少し丁寧に言葉を使うように感じる。


「他者目線が持てていないこと」って色んなところで弊害が出る。そういうヤツがグループのリーダーなんかを務めることになった時は最悪。本人は自分の行いに問題があるとは思っていないから何ら非を感じていないのだが、周りは「何を指示されているのか分からない」「どう動いてほしいのか何も読み取れない」という状況のままズルズル行ってしまう。

メンバから「お前の日本語滅亡してんだよ!!!」とはなかなか指摘されないから、本人としては「皆にちゃんと言ってるのに何故やってくれない?!」と思っていて、メンバは「分かんないって言ってるのにまともな説明が返ってこない」「もう何言っても無駄だな」と諦めていて何も言わなくなっていく。


「自分は大丈夫」と思っているのは間違い。ココに書いているのは「あなた」のこと。自分の日本語に問題がある、より良くしていかなくてはいけない、という意識を持つこと。

自分の話は常に理解されていない危険がある、そしてそれをちゃんと指摘してくれる人はいない。大抵は何言ってるのか分からない人からは皆離れていくだけで、注意なんてしてくれない。指摘されていないから大丈夫なんて思うな。何も言われていない時は相当嫌われている。

逆に、ちゃんとできている人だったら、事あるごとに「○○さんが作る資料ってホント分かりやすくて~!」「○○さんって説明上手っすよね~」と明確に賞賛されている。注意されたことはないが褒められたこともない、という人は、本来ボッコボコに注意されていてもおかしくない、日本語が滅亡している人間だと思ったほうがいい。

何でみんな注意してくれないのか、問題があっても指摘してくれないのか。それは皆はお前の親じゃねえから。日本語だとか人へのモノの伝え方だとか、そんな当たり前のしつけは、親が子供にやっておくべきことであって、大人になったヤツに、仕事上の付き合い程度の人間がわざわざそんなところにリソース割かないって。ちょっと注意した程度じゃ良くならねえだろうなと諦められているから、何も言われないんだ。

「これで十分・もう何も考えなくていい」なんてことはいつまでもなくて、たとえ一度二度褒められたとしても、「次の一言が理解されるとは限らない」「理解されなかった時にどう伝え直すか」ってことは全ての発言に対して真剣に考えていないといけない。


「分からないなら質問してくれればいい」と思っている人間もいるのだろうが、最初の説明が支離滅裂で意味不明な人間に対して、何をどう質問したら分かるようになるというのか。何を質問すればいいかも分からないような話を聞かされている、こっちの身にもなってくれ。

…いや、こっちの身になって想像できないから、そういう話し方をしてくるんだよな。もうコイツに聞くのはよそう。そう思われて終わりだ。誰からも何も注意されなくなったら終わり。


「そうはいっても、自分日本語不得意なんで…」

は?そう言ってればお前が不自由な日本語振りまいて周りが理解に苦しむのも仕方ないってなるのか?言語能力に問題があるならこの場にいるんじゃねえよ迷惑だから。何とかしようとしろ。でなきゃお前がそこにいる資格はねえよ。

パックンの「伝え方・話し方」の教科書 世界に通じる子を育てる

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Gulp 依存を止めたつもりで npm 依存しているだけ

フロントエンドエンジニアの教科書

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Gulp をグローバルインストールさせて、「gulp build」みたいなタスクを叩くのは止めて、

Gulp はローカルインストールしておいて package.json にタスクを定義しておいて、npm run build と叩くと裏で gulp build が呼ばれるのがベストだ!的な。

Gulp に依存していること自体は変わらないし、結局コレも npm run がパッケージ管理しているモノの PATH をいかに解決するかという動きに依存している気がしてしまう。

さらには Gulp 止めようっつって npm run に CLI のワンライナーを連ねて、でもそれだと限界があったり OS 依存があるから、って rimraf・mkdirp・cpx 入れてみたり、better-npm-run・npm-run-all 使ってみたり、更には長いからって Shell スクリプト呼び出しに変えたりって、オメーそれ Gulp 使わないようにするために逆に無理してんだろがアァン!?的な。

自分は npm-scripts に「処理」を書くのは最適解だとは思えない。だいたい package.json、つまり JSON ファイルは「データを定義する」用途だと思って、そこに「処理」が混じるのは意味が分からない。処理は「スクリプト (台本)」として書くべきだろうと。

だから自分は、ローカルインストールさせている Gulp を呼ぶための gulp タスクを npm-scripts として書くのが限度じゃないかなと思う。別に Gulp 信仰ってワケではないので、どの環境でも動くならシェルスクリプトでもいいんだけど、Gulp は「スクリプト」としてタスクを繋いでいき、条件分岐とかもできるのが良いなと思っている。その点 Webpack は webpack.config.js は連想配列で要は JSON チックに書くので、タスクの「定義」でしかないよなぁと思うので。

まぁいずれにしても色んな技術に依存していることは変わらず、「npm-scripts だからイイネ」ってことはないと思う。もはや生の HTML・CSS・JS をそのまま書くフロントエンド開発もなかなかなくて、何でもかんでもトランスパイルしたがって、でもそれって JavaScript がデキるっていうより TypeScript が分かってるって解釈にならない?みたいな。生の JavaScript でどうやるのか分からず、そういう環境がないと開発ができない、ってなっちゃうのってなんかダセーなって思う。自分が生の HTML・CSS・JS を書くしかなかった時代からそうしてきているから、トランスパイルする言語が逆にダルくて仕方ない。書いたら書いた瞬間に、ライブリロードとかなしに画面に出るのがフロントエンドちゃうんかいみたいな気もするし、そういうモノがなくたって自分が書けると苦労だとも思わないし、逆に「便利なツールがないと作れない」みたいなこと言ってるヤツの方がダルいなーと思ってしまう。

なんだろう言いたいこと伝わってる?というか自分は何が言いたくて、どうなったら気が済むんだろう?


逆にどういう感じになったら気が済むのかというと、個人的には「トランスパイル言語が不要になって、ビルドツールの一切が要らなくなったらいいんじゃないか」と思う。

最近はブラウザごとの環境差異がほとんどなくなってきたことだし、ES2015 もトランスパイル不要で何も気にせず動くようになったら楽だろう。ついでに JS で型定義したい人のために型定義したければできるようにすうr構文ができたらいいんじゃないか?

JS は誤りがあればスクリプトエラーになるからまだいいとして、HTML・CSS はどんなに無茶苦茶書いても、「エラーになって画面表示がされなくなる」みたいな挙動にはなかなかならない。タグのネスト構造が狂っていたり、無効なプロパティを書いていたりしても、ブラウザがかなり甘く見て修正してくれちゃうから、「間違ってる?でもコレで動いてるよ?」とか言い出すバカエンジニアが増える。

構文エラーとかがあったときに Sleep する、JS の開発者ツールの挙動みたいな感じで、HTML も CSS も、おかしな構文があったらブラウザがその場で Sleep みたいになって「パースできませんでした」ってエラーにしてくれたらいいのに、そしたら汚いコードは世から消えるし、汚いコードを書くバカも生存できなくなっていなくなる。「ブラウザで表示できること」が、現時点でいう「Lint とトランスパイルが通る」になれば、ビルドツールも Linter もいちいち自前で導入しなくて済むようになると思う。

もう頻繁にバージョンアップするツール群についていくのはダルいし、生の HTML・CSS・JS を書かない開発はそもそも好きじゃない。直接の成果物を作れていない感覚が拭えない。

とはいえ生の言語の不便なところとか曖昧なところとかも分かるので、トランスパイル言語の良いところは言語仕様として取り込んでもらいつつ、Lint やコンパイラのチェッカに頼っていた人向けに曖昧な解釈を許さないブラウザが主流になってくれたらいいんじゃないかとか思った。